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ストレス耐性

2009年01月30日 23:53

最近、ストレス耐性という言葉が

使われるようになりました。

これはストレスに対する抵抗力みたいなもので、

この耐性が弱いと、心が病みやすくなってしまったり、

ちょっとしたストレスも我慢できず、すぐにキレてしまう

などの弊害が起きてしまいます。


心が病みやすい、すぐにキレてしまう・・・

いまこのことが社会問題になるほど、

ストレス耐性の弱い人が増えています。


さて今回は、このストレス耐性を精神分析学的に

考えてみたいと思います。


いきなりですが、話は生まれたばかりの乳児期に

タイムスリップします。


生まれたばかりの赤ちゃんは、まだ自我がなく、

エス(無意識)一色の状態です。

母親の胎内にいたときには、お腹がすけば、

すぐに補給され、ウンチやおしっこの不快感もなく、

いわばストレスがまったくない※状態でした。

※ただし、母親の状態によって異なります。


しかし、この世にオギャと生まれてきたら、

そうはいきません。

「お腹がすいたなぁ」と感じても、すぐに食事(母乳)が

もらえるとは限らず、ウンチやおしっこでオムツが

汚れても、すぐに取り換えてもらえるとも限りません。


生まれたばかりの赤ちゃんは、そうした不快な状態になると、

我慢ができず、警告サインのようにむずがったり、

すぐに大泣きしてしまいます。(^^:


これはエスが「少しの不快も我慢しない」という

快楽原則にあるからです。

誕生とともに芽生え始める自我は、このエスが訴える

不快(反応)をすぐに取り除こうとしますが、

まだ未熟ですから、うまく対処できず、オロオロと

非常に不安になります。

こうした不安を本能不安と云うのですが、今回は

その話ではありません。(^^:


本当であれば、そうしたエスの発する不快反応に

対する不安を、自我が我慢することを、

覚えなければならないのです。

・・・が、このとき母親なり、赤ちゃんを看る人が、

赤ちゃんの反応(むずかり、泣くこと)に過敏になすぎて

むずがらせないように、泣かせないように

してしまうと、自我は我慢を学習できず、

かえってストレスに弱い子どもに育ってしまう。

ストレス耐性の弱い人ができてしまう
わけです。


まあ、なかには「泣け泣け、泣くのが赤子の商売や」

と泣かせておく親御さんもいらっしゃいますが、

それも一理あって、無理に泣かすこともないんですが(笑)、

不自然に気を遣うことをせず、

腹がへったら、ひもじいもんや

お尻が汚れたら気持ちが悪いもんや

それも現実や

いまやってやるから待っておれや


と、不快なことも覚えさせ、我慢することを

覚えさせてあげることも大事
なんじゃないかと

思うのです。


つまり、そうした乳幼児期の過ごさせ方が、

ストレス耐性の強弱のカギを握っている。

赤ちゃんは、そうやって現実のなかで、

我慢することを覚え、ストレス耐性を

育んで行くわけです。


でもそうやって考えると、

子どもがむずがったり、泣いたりするのを、

どれだけ我慢して見守ってあげられるか・・・

まあ、見守るっていうのも変ですが(^^:)

親としては子どもに不憫な思いはさせたくない。

けど「これがこの世の現実だ」と教えてあげる、

そんな「せつない」ことに耐える親自身のストレス耐性が、

子どもの耐性を育ててあげるカギ
なのかも知れませんね。


どうぞ、過保護になり過ぎないようにして、

ストレス耐性の強い子(人)に育ててあげてください。
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そのときの精神状態(2)

2008年12月09日 23:51

さて、前回の事件に関連して、もうひとつ・・


ある報道(ワイドショー)で、

容疑者の彼は普段から、女性をつけ回すなど、

獲物を狙っていた・・・と「獲物」という

表現が頻繁に使われていましたが、

彼には「獲物」という意識はなかったと思います。


それはある意味、小さな子どもが、

何も先入観も恐れもなく、好意的な気持ちや興味で

人と接触しようとする(人に近づいていく)行動と

同じ・・・と考えて良いと思います。


たとえば、

ちょっと怖そうな人が居たとします。

普通なら(知的な精神状態が正常に働いている場合なら)

「あの人、ちょっと怖そうだから近づかないでおこう」

と思うのですが、

そうした恐れなどの知的な抑制を感じないから近づいてしまう。


つまり、「これはちょっと危険そうだ」

「良くないことだ」という感覚もそうですが、

「これを、こうしてやろう」という

獲物を狙う感覚や、計画的な企み(たくらみ)という感覚は、

知的な精神が働いて初めて成立することなのです。


ただ今回の彼の場合、そうした知的な部分に障害がある

と云われていますから、獲物や計画的というよりも、

ただ単に「無邪気な興味が、そうさせた」と云ったほうが

適格な表現だと思います。


もちろん逆に、無邪気という、悪意(悪い心がない)状態

ですから、かえって難しい・・・という部分もあります。

つまり、相手に不快感や危機感を与えている、

という自覚が無いのですから、難しいわけです・・・



そして彼の行動を、精神分析学的に考えるなら、

近づきたい、接触したい(触れたい)という、

『性の欲動』が優位に働いている状態です。


ここでいう『性の欲動』とは、人間の持つ原始的な

本能を云います。

そしてそうした欲動が強く行動に現れるのは、

精神の無意識支配が強いとき(幼少期)であるか、

(大人でも)精神が無意識に退行したときです。


たとえば、小さな子どもは、知的な意識部分がまだ

十分に発達しておらず、原始的な無意識(性の欲動)が、

行動のほとんどを支配しています。

ですから子どもは、母親との接触を多く求めたりしますが、

それはそうした『性の欲動』が働く為です。


そして知的障害と云われる彼も、小さな子どもと同じような

無意識(性の欲動)支配の強い行動だったのかな、

と推測できるように思います。


ただし、繰り返しになりますが、

『性の欲動』とは云っても、小さな子どもが

セックスなどの性に(まで)興味が向かていないのと同様に

知的障害と云われる彼も、成人が考えるような性にまで、

興味が及んでいないはずです。


つまり、今回の事件の彼の日常行動は、

誰かと温かい交流がしたい、触れて安心感を得たい

と云った、ある意味、小さな子どもが持つような

(「お母さん、ダッコ」と云った感じの)

『原初的な生理感覚』だったのではないか

と考えられるわけです。


もっとも、そうした、

「いやらしい気持ちはないのだ」という

心理状態が仮に理解できたとしても・・・

(相手が)小さな子どもなら、接近されても警戒心や、

「気持ちが悪い」という感情にはならないですけど、

身体の大きな人に、後を追われたり、声を掛けられたり

したら、それは怖いことですよね。。


しかしもちろん(誤解のないよう最後に書いておきますが)

すべての知的障害の人が、そうした性の欲動だけに

支配されてしまっているわけではないですし、

きちんと抑制して、普通に生活している人のほうが

はるかに多いわけで、ここまで書いてきたことは、

『今回、容疑者になってしまった彼』に関してのことです。


しかし、幼稚的な行動がどうしても多くなってしまうために、

知的障害の人が偏見や警戒の目で見られてしまうとすれば、

それはとても残念なことです。



もちろん「一部の奇行をしてしまう人」との関わり方と

犯罪の抑止を考えて行くことが急務なのは確かですが、

並行して(同時に)

「偏見のない社会にして行くにはどうしたら良いのか」

についても、(大変難しいテーマではありますが)

この事件を機会に真剣に取り組んでいく必要があると

強く感じました。



※ちなみに・・・

世の中に起こる性犯罪や性的奇行は、

精神の退行によって『性の欲動』が暴走してしまった

状態と考えることができます。

これは性の欲動、犯罪という話の余談として。

そのときの精神状態(1)

2008年12月09日 23:48

秋に千葉県で幼女が殺害された事件で

最近、犯人である男性が逮捕されましたね。

被害に遭われた幼女と、遺族の方は

本当にお気の毒で、事件の重大さを感じます。



実は、とある場所で、

容疑者の彼の『断片的で、はっきりとしない記憶』

というときの精神状態が分かりづらい

という話になりました。


なので今回は、そのことについて

少し考えてみたいと思います。


まず僕が報道を見ていて感じたのは、

容疑者(加害者)の供述がとても曖昧で、

人間の意識と無意識は、ほんと薄い紙一枚の

背中合わせのところにあるんだなぁと

云うことでした。


たとえば供述では、

幼女がいつの間にか部屋にいて、

(次には)いつの間にか倒れていて、

(その次には)幼女を白い建物の前に遺棄していた・・


と、『いつの間にか』という感覚や、

「・・・していた」と云ったような、

まるで他人事のような話が次々と出てきます。


おそらく容疑者の彼本人にしてみれば、

断片的な記憶しかなく、

「それが自分のした行為」とは感じられない

夢の中の出来事のように思えているのかも知れません。

図にすると、こんな感じなのかな・・と思います。

middle_1228811765.gif

その精神状態を考えるとき、

子どもの行動を思い出してみると良いかも知れません。

小さな子どもは、まだ意識が十分に発達しておらず、

無意識的な行動を多くとります。


そして無意識的なぶん、集中力が凄いですから、

夢中になると、その部分の記憶がとても断片的に

なる可能性があります。


でも、勉強などで集中しているときには、頭が冴えて

逆にそのときの記憶は鮮明に覚えているのでは?

と思いますよね。(^^:


たしかに集中力が増せば、勉強ははかどるのですが、

しかし、思い出せる記憶としては、どうでしょう?

案外と思い出せないのではないでしょうか。

だから、勉強のときなど夢中になりながらも

一所懸命にノート書きする・・・とも。(^^:

そして意識的に戻ったとき、それを見て

「ああ、こんなに勉強したんだ」って。(笑)


容疑者の彼には知的障害があると云われています。

それでも数年間は普通に就労していたのですから、

障害のレベルはそれほど高くはないと思いますが、

知的という意識部分の発達に障害(遅延)があると

すれば(健常者と呼ばれる人と比較すれば)

子どもと同じような『無意識支配の強い精神状態』

なのかも知れませんね。


そしてそれは、報道されている普段の彼の行動・・・

女性や子どもを追い掛けたりする・・・からみても、

その傾向を感じます。

(このことは、もうひとつの記事に書きます)


話が、あっちこっちへ行ってしまいましたが、

彼はきっと、事件の当日も、日頃の行動でも、

夢を見ているような(幼児のような無意識的)で

あることが多かったのではないかと思います。

なので(一般で云うところの)動機という動機も、

特別には無かったのではないでしょうか。



しかし、そうした状態は何も彼が特別というわけではなく、

健常者と呼ばれる普通の精神状態の人でも、

日常的に起こり得る現象です。


たとえば、何かに夢中で、

気持ちがそこへ「入り込んだ(のめり込んだ)」とき、

人はその最中の記憶がとても曖昧になります。

とくにそれが酷く夢中であるほど、

「いつの間にか(その行為が)完了していた」

という話は、みなさんにも経験があると思います。


つまり、この『夢中』という精神状態が『無意識』であり、

夢中であればあるほど、

無意識の結構深い部分(場所)に精神状態があった

と考えて良いと思います。


ある意味、犯罪を犯してしまった人の精神状態も

(誰しも)そうした「無我夢中」の状態と云えるかも

知れません。


ですらか、

「そうした人たちの心理状態が理解できない」

と思うときには、自分自身が

「何かに夢中になったとき」のことを思い浮かべて

みると、より分かるかも知れません。

あるいは、お酒に酔って「ゆうべの記憶がない」

ときの状態ですね。(^^:


そうしたとき、人間は『無意識の状態』であり、

意識されない行動をとっていますので、

そうした状況を考えてみると、

「何かをしてしまうとき」の精神状態への理解

に近づくことができるかな・・と思います。



ちなみに・・・この先は余談です・・・


もちろん、上記のような状態でも、いわゆる理性が

働いていれば(そうした理知的なものがあれば)

犯罪や、「おかしな行動」は抑えられているはずです。


ですが・・人間には難しい心の部分があって、

(無意識の中に)抑圧された気持ちが複雑であるほど、

その無意識の状態になると、理知の制止も緩んで

普段では考えられない行動をとってしまう場合があります。


とくに、普段がとても真面目で、抑制的な人ほど、

その反動で、信じられない行動に出てしまうことも

珍しくはありません。

そうしたことは、真面目を絵に描いたような人が

お酒を飲むと「乱暴な人に豹変する」などで

よく見かける光景だと思います。


つまり、人間の意識・無意識という問題は、

とても難しいけど、(誰しも)とても密接。

だから、決して(そうした事件も)他人事ではないんですよ・・・

という話ですね。(^^:


ならば、どうすれば、そうした無意識の暴走を防ぐことが

できるのか・・・ですよね。


それはやはり、普段から自分の無意識を考えてあげること。

もちろん意識できないから無意識なんですけど、

自分の無意識が「どんな状態なのかな」と意識してあげる

だけでも良いと思います。


たとえば、自分は「こういうことがとても不愉快」と

思うことがあれば、「どうしてそれが不愉快なんだろう」

と考えてみる。

もしそうした追及ができれば、意識的な部分である程度

(自分の心の問題が)解決ができるかも知れませんよね。

そうすれば、不要な抑圧もしないで済むかも・・・

と云ったような、セルフ的な『心のケア(心の整理整頓)』

に繋がるように思います。


要は「そうに違いない」という、思い込み(先入観)を

できるだけ心に背負わせないようにすることが、

意識・無意識を併せた『自分の心』の健康(心の自由度)には、

とても大切である・・・という話なのであります。


・・・と、完全に事件とは関係のない話になってしまい

ましたが、何かの参考にして頂ければ幸いです。





続・人間関係を楽にする知恵

2008年10月30日 23:43

虫の居所が悪い、虫がいい、虫唾が走る、虫の息、

腹の虫がおさまらない、虫の知らせ・・・

どうやら私たちの身体の中には『虫』がいるらしい。(笑)



そう・・・昔は、私たちの心身の中には『虫』がいて、

それが病気や、さまざまな問題を引き起こしているのだ

と信じられていました。

ですから、

相手に『虫が好かない(気に食わない)』ことをされても、

「ヤツの虫がそうさせるんだ」

と、全部「虫のせい」にして相手を許し、

余計なモメゴトを起こさないようにする、

という生活の知恵にも使っていたわけです。


そうなると、昨日書きました「心が病んでしまった」

ような状態も、どうやら『虫のしわざ』みたいですね。(^^:


ならば、その虫の正体は何かと考えますと、

精神分析学的にいえば、それはどうやら

無意識(エス)らしい・・・と云うことになります。


なにしろ無意識は、私たちの意識(考え)とは別に

好き勝手、わがまま放題ですから、

放置しておくと、

相手だけではなく、自分自身も振り回して

「そりゃもう、大変な状態」になってしまいます。(^-^;


昔は、『虫封じ』といって、そんな暴れまくる虫を

神社などで祈祷して、神様に鎮めてもらいました。

さしずめカウンセリングは、そうした祈祷と同じ

役割りなのかなぁ、なんて思ったりすることがあります。

つまり、

きっと心の中の虫も、何かワケ(理由)があって

騒いているわけですから、

「彼(虫・無意識)の話を、じっくり聴きましょう」

というのがカウンセリングというわけです。



さて、それと人間関係を楽にする知恵と、

どう関係があるのでしょう?(^^:


それは、

自分と相手の中の虫に、耳を傾けてみましょう

という提案です。


よく、相手の立場に立つ、相手の気持ちになる

ことが、人間関係を良くするコツと云いますよね。


でも、冷静でないときには、相手の立場や気持ち

どころか、自分の立場や気持ちすら忘れてしまう

のが人間ですから(^^:なかなか思うようにはいきません。


そこで、昔の知恵を拝借して、

自分の気持ちも、相手の気持ちも、いったん

「ぜーんぶ、虫のせい」にしてしまうのです。


そう・・・

「自分と相手が冷静でないのは、すべて虫が悪い」

だから、どっちも悪くない。

もし、どうしても、そうは思えなければ、

まず「自分は悪くない」からスタートしても良いです。


とにかく、モメゴトのほとんどは「どっちが悪いか」の

『責任の所在』がテーマ(笑)ですから、

その責任を虫に押し付けてしまえば、

少しは腹の虫のおさまりますよね。


そして冷静になったら、まず先に

「相手は、どうしてそんなことをしたのだろう?」

と考えてみる。

そして次に

「じゃあ、自分はどうなんだろう?」

と考えを進めて行くと、

案外と「なるほどなぁ」と思える部分に

突き当るはずです。


もちろん、人間関係はそんな単純なものではなく、

もっと複雑な場合も多いですし、

(昨日書きましたように)一方的に「難くせ」を

つけられてしまうことも多々ありますが、

そうした場合でも、

じっくり考えることで、相手が自分に望んでいることや、

自分はどうすれば良いのか?の答えも、

なんとなく見えてくるのではないでしょうか。


何より、状況や先行きが見えないことほど、

不安でイライラすることはありませんから、

まず、それが何となくでも見えてくれば、

すぐに解決できないようなことでも、

じっくり対処することが出来そうですよね。



まあ、全部の責任を押し付けられる『虫』には

気の毒ですが(苦笑)、

自分や相手の無意識(エス)が悪いと云ってしまうと、

「やっぱりオマエ(の自己管理)が悪い」

という話になってしまい、またモメゴトが

起きてしまいますので(汗笑)

ここはひとつ、虫に悪者になって頂きましょう。

そうした役割なら、きっと虫も許してくれるはずです。(^^)


え? それはあまりにも虫が良すぎますか?

まあまあ。(^-^;(笑)

人間関係を楽にする知恵

2008年10月29日 23:38

人間関係は大変です。

自分が良かれと思っても、

相手が、そう思ってくれるとは限らない。

また逆に、何気ない相手の行為に、

ひどく困惑させられたり、

ひどく傷つけられたり・・・


ともあれ、思うように行かないのが人間関係で、

それだけで疲労困憊なんてことも

珍しくはありませんよね。(^^:


しかし、だからと云って、すぐに相手を

どうにかできるものではありません。


そうなると、自分をどうにかするしかないのですが、

それもすぐに、どうにかなるものでもないのが

人の心の難しさです。(^-^;


そこで僕が日頃、カウンセラーとして心掛けて

いること(自分の心に置いていること)を

ひとつ書いてみたいと思います。


それは、

相手のことは信頼するが、人間は信じない

というスタンスです。


何だか「分かりそうで分からない」変な感じですし、

それが人間関係を楽にすることと、関係あるの?

という感じですよね。(^^:


説明しますと、

まず、人間なんてそんなに大きな差はない。

そして、心底に悪い人はいない。

という前提が『相手のことは信頼する』の部分です。


そして『人間は信じない』の部分は、

人間は、嘘もつくし、人を騙し裏切るし、

どんなことにも自分勝手な振る舞いもする。


それは人間が持つ魔性の部分とでも云いますか、

人間、誰しも必ず、自分でもコントロールの難しい

『心の構造部分』を持っている。


そうした意味での『人間の心の構造』を考えぬまま

『人間』を信じてしまうと、思わぬトバッチリや、

痛手を受けてしまいますよ、という警鐘ですね。



って、ちょっと難しいかもですね。(^-^;

もう少し分かりやすく書きますと、

人にはそれぞれ、考え方や行動の癖を持っています。

まあそれが、性格とか個性とか云われるものでも

あるわけですが、それがマイナス面に出てしまっている場合には、

(大変な何かを抱えてしまっている、という意味で)

「心を病んでしまっているのかな・・」

と考えるようにしています。


たとえば、

人の陰口の好きな人、

ズケズケと物を云ってしまう人、

自分勝手な行動をとってしまう人・・・

そういう人たちは、きっと心に満たされない何かを

抱えているから、(病気のように・本人の本意ではなく)

知らず知らずにそういうことをしてしまうのだ。

と考えます。


そうすれば、

きっと相手は本意でそんなことをしたいわけではないし、

自分にも悪意はないのだ。

ただ、どうすることもできず、そうしてしまうのだ。

まあ、病気なら仕方ないし、

自分にも「そういう部分があるだろうから」

お互い様だもんね。


と、その出来事や、相手のことも肯定的に

受け止めることが可能ですし、

自分の心に『ゆとり』すら生まれるはずです。


相手の悪い部分だけに注目してしまうと、

自分自身が(受け止めきれず)ツラクなって、

関係が悪化したり破綻したり・・と、

あまり良いことにはなりませんからね。(^-^;


人間関係は、お互いの心のキャッチボールですから、

「自分も相手も、お互い様なんだ」と

思える心の工夫が大切なはずです。


カウンセラーは、そうした満たされない心が

少しでも晴れるようにお手伝いすることが仕事ですが、

普段の人間関係でも、「きっと何か抱えているんだろうなぁ」

という考え方が持てれば、(同情などではなく)

「お互い大変だよね」という気持ちになれるのでは

ないかと思います。


※病気・・・と云うと何だか

「随分ひどいことを・・(--;)」と思われるかも

知れませんが、もちろん悪い意味で述べている

わけではありません。(^^:

その考え方の基本は、こちら↓のページにあります。

言葉足らずの補足と云ってはなんですが(^^:

もし宜しければお読み頂けたらと思います。
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