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続・ストレス耐性

2012年12月19日 21:55

いつの間にか4年ぶりの更新になってしまいましたが、(^^;
今回は、前回のストレス耐性の続編です。

前回、現代人はストレスに耐える力が弱くなってしまった、
それは、乳幼児期に適度な我慢を学習してこなかったからである・・
という話をさせて頂きました。
つまり、過保護もほどほどに・・ということですね。

今回は、ある意味その真逆で、
乳幼児期には、もっとかまってあげてください。
そうすれば、大人になってストレスに耐える力が出せるようになります。

という話をさせて頂こうと思います。

あれあれ・・かまうなと言ってみたり、もっとかまってあげてと言ってみたり、
「いったいどっちなの? どーすりゃいいの?」
ですよね?(^^;(汗笑)

しかし、あらかじめ申し上げておきますが、
「過保護にする」ことと、「かまってあけること」はまったく別のことです。

過保護というのは、「かまい過ぎ」、「やり過ぎ」てしまうことで、
どちらかと言うと、相手のためというより、自分が気になるからやる、
不安だからやる・・という自分本位な意味合いが強く、
悪く言えば、過干渉で「有難迷惑」な行為のことです。

そして「かまってあげる」ことは、相手(ここでは乳幼児)に、
深い愛情と関心をもって「見守ってあげる」ことを言います。

もちろん過保護にも愛情的要素はあるのですが、
愛するあまりに相手を壊してしまう場合がある・・ことの警鐘も含めて、
ここでは、
過保護=相手の為にならない自分本位な干渉
かまってあげる=愛情ある見守り

という定義で話を進めたいと思います。


さて、前置きが長くなりましたが、
では、なぜ、そうした「かまってあげる」行為がストレス耐性に必要なのかです。

結論から申し上げれば、
人間の0歳から3歳くらいまでの乳幼児期は、とても無力なので、
そんな彼らにとって「守られている」という安心感と、
守ってくれる人の存在は、絶対不可欠なのです。

その不可欠さは、大人が想像する以上に強大で、
常に不安にさらされている彼らにとっては、
空気と同じ「これが無くては生きてはいげい」くらい、
欠かすことのできないものなのです。

そして、乳幼児である子どもは、
初めての経験ばかりの不安の中で、「かまってくれる人」の存在を感じながら、
そうした安心感に包まれながら、
冒険をし、時にはすぐに満たされないストレスを学習しながら、
成長していくわけです。

子どもがすぐに親の顔を見るのは、
親のご機嫌をうかがっていると言うよりは、、それもあるかも知れませんが(苦笑)、
自分を見守ってくれている人の存在を、確認している
と思ってあげたほうが良いかも知れません。

繰り返しになりますが、
それくらい子どもは、常に不安の中で暮らしているわけです。


そして、きちんと見守られて育つ子どもは、
安心感の中で、いろいろなことを経験し、時には我慢をし、
さまざまなことに対する対処法を学習していくことができます。

ここで何が大事かと言えば、自分を信じることの、自信が身に着くことです。

たとえば、欲しいものがあっても「すぐに自分のものにはならない」ことを覚え、
「大人になったね」と褒められることで、
自分は日々成長しているのだという自負心と、その確信が持てるようになります。

そうしたことを重ねることによって、揺るがない心、自分を信じる心が芽生え、
ストレスにも耐えられる人格が育つわけです。

その間、親ができることは、子どもが感じるストレスを共有し支えてあげることです。
親にしてみても、子どもが何かを欲しそうな時には、
子どもの悲しそうな顔を見るのが忍びないあまりに、
すぐに渡して(買って)あげてしまうことが少なくありません。

そりゃ、子どもが悲しむ顔より、笑っている顔のほうが良いですからね。(苦笑)

しかしそのときに、グッと我慢して、
親も耐える、子どもも耐える・・が我慢・ストレスの共有です。

そうすることで、子どもは親との一体感を感じるとともに、さらに信頼感を強め、
さらに、さまざまな冒険(体験)を積むことができるようになります。

※ただし、上記のことは子どもの年齢(月齢)や、求めているものなどの状況が
きちんと加味されたものであることが前提です。

産まれたばかりの乳児が泣くのをみて「お腹すいたの?でも我慢なさいね」は、
あまりにも酷ですからね。(苦笑)
あくまでも段階を追って、我慢を覚えてもらってください。(^^;

そして、もう言わずもがなですが、
子どもが体験することより先に、転ばぬ先の杖で、
親がなんでもしてあげてしまう過保護が、
無意味である以上に、子どもからさまざまなものを奪ってしまう害であることも
お分かり頂けたと思います。

どうか、お子さんのことを真に想った見守りをしてあげて下さい。
きっとお子さんはそれに応えて、芯の強い、ストレスに強い大人になってくれるはずです。


さて、ここからは余談ですが、
前回の記事から4年近く経ってみて、
ストレス耐性の弱い新成人たちが、さらに増えているように思います。
「それは、世の中がこうだから仕方がない」
と言ってしまえば「それまで」ですが、(^^;
その『世の中』を形成しているのは、ほかでもない、私たち一人ひとりであり、
ストレス耐性の弱い子を産出している私たち大人なのです。

その要因のひとつを簡単に述べるなら、
子育てとは名ばかりで、本当は子育てをしていない親たちが如何に多くなったか、
ということではないかと思います。

子育てをしていないという言葉が悪いのであれば、
子育てをしているつもりの、子どもをちゃんと見て(かまって)あげていない親が多くなった、
と言い換えても構いません。

とにかく、親自身が自分のことで精いっぱいなのか、
はたまた、まだまだ遊びたいお年頃なのか、(汗笑)

食事や、幼稚園などの送り迎えはしているものの、
ケータイや何かに夢中で、
ちゃんと子どもとアイコンタクトすらとれていないのではないか、
と思うケースが増えています。

そのことを指摘すると、あるお母さんは、
「わたしか子どもの犠牲になれと言うのですか?」
と切り返してきたのですが、

そうではなく(^^;もちろん、犠牲とかそういうことではなく、

せっかくお子さんを授かったわけですし、
お子さんと親密に付き合える時間(年月)など、思うより長くはないのですから、
もっとお互いにベタベタしてみてもいいんじゃないか、
という提案なのです。

もちろん、子育ての主役は親ではなく、あくまでも子どもたちですから、
時間や労力を使ってあげることも多いかも知れませんが、
それこそ真剣に子どもと付き合ってみたら、親自身も満足のいく、
かけがえのない時間を過ごせるはずです。

斯くいう僕などは、あまり「かまってあげられなかった親」で、
いまでは深く後悔しています。(^^;


できれば、親を含めた大人たちが、子どもたちへの関心をさらに深め、
地域ぐるみの子育てをして、社会に送り出してあげる
という、昔ながらの循環が復活できれば、
さらにストレスにでも何にでも強い人たちが増えて、
社会全体が豊かになれるのですけどね。^^ゞ