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固着の誘惑

2008年11月08日 23:45

教職員による少年少女に対する買春や、

わいせつ行為の記事が、

最近また目立つようになりましたね。


「教員なのになぜ?」

という怒りの声も多く聞かれますが、

誤解を恐れずにいえば、

「教員だから」

そうした事をしてしまう(可能性も大きい)のかも知れません。



その理由は単純です。

学校の先生になろう、と思うのは、

少なからず、子どもが好きだったり、

子どもに興味があるから、ですよね。


たぶん、「子どもが嫌いで嫌いで仕方ない」

と思っている人は、教職の道など考えも

つかないはずです。


ならば、子供に対する「好き」という気持ちや

「興味がある」という『こだわり(固着)』が、

教職以外の人たちよりも多いわけですから、

そのこだわりが『性欲』という、

よからぬ方向に脱線してしまう可能性(確率)だって

(ふつうの人たちよりも)高くなることも

「当然考えられる」という理屈です。



似たような話で、

よく、放火犯を捕まえてみたら消防団員だった

という事件もありますよね。

それも今の理屈と同じで、その人は良くも悪くも

『火』というものに興味関心があるから、

消防の道を選んだ、という云い方ができるはずです。


だから「火事」というと「消さなければ」

という使命感とは別に、

異常な興奮(快感)を感じてしまう人がいても

おかしくはないですし、

もしそこから使命感が欠落してしまえば、

無性に『火(火事)だけ』が見たくなって、

自分で火をつけてしまうことがあっても

不思議はないですよね。


放火犯は火災現場に必ず現れるといいますが、

あれは犯人が自分だとバレはしないかと

心配で見に来ているわけではなく、

単純に火を見たいから・・・なんですよね。



と、ここまで書いてきて、「誤解を恐れず」とは

云いながらも、ずいぶんなことを書いてしまって

いるかも知れません。(^^:


もちろん、教職も人も、消防の人も、

すべての人が「そう」と申し上げているわけでは

ありません。

おそらく1万人いれば9千9百9十9人の

みなさんは、本当に子どもたちを愛し、

教職に励まれているはずですし、

強い使命感を感じながら消防に携わって

くださっていると思います。


でも、それだけに、関係者による

こうした事件はとても残念ですし、

起こって欲しくないですよね。



ではなぜ、

そうした『こだわりの固着』の誘惑に負けて、

わいせつ行為や、放火といった、よからぬ方向へ

向ってしまうのでしょうか。


それはやはり、自我の弱さなのだと思います。

つまり、自我が順調に育っていないから、

ストレスなどに負けてしまう、

それを発散するために誘惑に乗ってしまうわけです。



これはある意味、教職や消防だけではなく、

どんなことにも、どんな人にも云えることだと思います。

好きこそモノの上手なれ・・・ではありませんが、

自分の好きなことや、得意な事というのは、

ひとつ間違えば犯罪に結びつく危険性がある。

紙一重なんだ、と考えておいたほうがいいと思います。


なぜなら、誰も自分の不得意分野で犯罪する人は

いませんからね。

たとえば、口べたな人は、オレオレ詐欺など

やらんでしょうし。。



ならば、自分が「よからぬ道」に行かずにすむ

方法はないものか・・・ですよね。

その一番は、やはりトレスに強い心を持つ、

自我の強化に尽きるだろうと思いますが、

とにかくその為にも、自分のことにキチンとした

自覚を持つことだと思います。


たとえば、

自分は子どもが好きなんだ。

だから教員になった。

と、自分自身のことや、自分の立場を

しっかりと自覚できていれば、少なくとも

「自分の学校の生徒でなければイイか」

と買春や、わいせつ行為には及ばないはずです。


つまり、悪いことに走ってしまう人は、

そうしたことに自覚がなく、

ただ何となく過ごしてしまっているから、

「自分は教職者である」というアイディンティティ

にも確信(自信)や誇りが持てず、

流されるまま誘惑に負けてしまうのだと思います。

あるいは、踏み留まろうとしても、

最後の踏ん張りがきかずに負けてしまう。


もちろんそれは、固着が持つエネルギーが

それだけ強烈強大である、という証しであり、

人間なら誰でも道を踏み外す可能性があることを

示していますが、だからこそ、

流されず、それに打ち勝つだけのエネルギーを

自我に持たせておくことが、『大人』としての

責任じゃないかと思います。


長くなりました。

    自戒を込めて。


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続・人間関係を楽にする知恵

2008年10月30日 23:43

虫の居所が悪い、虫がいい、虫唾が走る、虫の息、

腹の虫がおさまらない、虫の知らせ・・・

どうやら私たちの身体の中には『虫』がいるらしい。(笑)



そう・・・昔は、私たちの心身の中には『虫』がいて、

それが病気や、さまざまな問題を引き起こしているのだ

と信じられていました。

ですから、

相手に『虫が好かない(気に食わない)』ことをされても、

「ヤツの虫がそうさせるんだ」

と、全部「虫のせい」にして相手を許し、

余計なモメゴトを起こさないようにする、

という生活の知恵にも使っていたわけです。


そうなると、昨日書きました「心が病んでしまった」

ような状態も、どうやら『虫のしわざ』みたいですね。(^^:


ならば、その虫の正体は何かと考えますと、

精神分析学的にいえば、それはどうやら

無意識(エス)らしい・・・と云うことになります。


なにしろ無意識は、私たちの意識(考え)とは別に

好き勝手、わがまま放題ですから、

放置しておくと、

相手だけではなく、自分自身も振り回して

「そりゃもう、大変な状態」になってしまいます。(^-^;


昔は、『虫封じ』といって、そんな暴れまくる虫を

神社などで祈祷して、神様に鎮めてもらいました。

さしずめカウンセリングは、そうした祈祷と同じ

役割りなのかなぁ、なんて思ったりすることがあります。

つまり、

きっと心の中の虫も、何かワケ(理由)があって

騒いているわけですから、

「彼(虫・無意識)の話を、じっくり聴きましょう」

というのがカウンセリングというわけです。



さて、それと人間関係を楽にする知恵と、

どう関係があるのでしょう?(^^:


それは、

自分と相手の中の虫に、耳を傾けてみましょう

という提案です。


よく、相手の立場に立つ、相手の気持ちになる

ことが、人間関係を良くするコツと云いますよね。


でも、冷静でないときには、相手の立場や気持ち

どころか、自分の立場や気持ちすら忘れてしまう

のが人間ですから(^^:なかなか思うようにはいきません。


そこで、昔の知恵を拝借して、

自分の気持ちも、相手の気持ちも、いったん

「ぜーんぶ、虫のせい」にしてしまうのです。


そう・・・

「自分と相手が冷静でないのは、すべて虫が悪い」

だから、どっちも悪くない。

もし、どうしても、そうは思えなければ、

まず「自分は悪くない」からスタートしても良いです。


とにかく、モメゴトのほとんどは「どっちが悪いか」の

『責任の所在』がテーマ(笑)ですから、

その責任を虫に押し付けてしまえば、

少しは腹の虫のおさまりますよね。


そして冷静になったら、まず先に

「相手は、どうしてそんなことをしたのだろう?」

と考えてみる。

そして次に

「じゃあ、自分はどうなんだろう?」

と考えを進めて行くと、

案外と「なるほどなぁ」と思える部分に

突き当るはずです。


もちろん、人間関係はそんな単純なものではなく、

もっと複雑な場合も多いですし、

(昨日書きましたように)一方的に「難くせ」を

つけられてしまうことも多々ありますが、

そうした場合でも、

じっくり考えることで、相手が自分に望んでいることや、

自分はどうすれば良いのか?の答えも、

なんとなく見えてくるのではないでしょうか。


何より、状況や先行きが見えないことほど、

不安でイライラすることはありませんから、

まず、それが何となくでも見えてくれば、

すぐに解決できないようなことでも、

じっくり対処することが出来そうですよね。



まあ、全部の責任を押し付けられる『虫』には

気の毒ですが(苦笑)、

自分や相手の無意識(エス)が悪いと云ってしまうと、

「やっぱりオマエ(の自己管理)が悪い」

という話になってしまい、またモメゴトが

起きてしまいますので(汗笑)

ここはひとつ、虫に悪者になって頂きましょう。

そうした役割なら、きっと虫も許してくれるはずです。(^^)


え? それはあまりにも虫が良すぎますか?

まあまあ。(^-^;(笑)

人間関係を楽にする知恵

2008年10月29日 23:38

人間関係は大変です。

自分が良かれと思っても、

相手が、そう思ってくれるとは限らない。

また逆に、何気ない相手の行為に、

ひどく困惑させられたり、

ひどく傷つけられたり・・・


ともあれ、思うように行かないのが人間関係で、

それだけで疲労困憊なんてことも

珍しくはありませんよね。(^^:


しかし、だからと云って、すぐに相手を

どうにかできるものではありません。


そうなると、自分をどうにかするしかないのですが、

それもすぐに、どうにかなるものでもないのが

人の心の難しさです。(^-^;


そこで僕が日頃、カウンセラーとして心掛けて

いること(自分の心に置いていること)を

ひとつ書いてみたいと思います。


それは、

相手のことは信頼するが、人間は信じない

というスタンスです。


何だか「分かりそうで分からない」変な感じですし、

それが人間関係を楽にすることと、関係あるの?

という感じですよね。(^^:


説明しますと、

まず、人間なんてそんなに大きな差はない。

そして、心底に悪い人はいない。

という前提が『相手のことは信頼する』の部分です。


そして『人間は信じない』の部分は、

人間は、嘘もつくし、人を騙し裏切るし、

どんなことにも自分勝手な振る舞いもする。


それは人間が持つ魔性の部分とでも云いますか、

人間、誰しも必ず、自分でもコントロールの難しい

『心の構造部分』を持っている。


そうした意味での『人間の心の構造』を考えぬまま

『人間』を信じてしまうと、思わぬトバッチリや、

痛手を受けてしまいますよ、という警鐘ですね。



って、ちょっと難しいかもですね。(^-^;

もう少し分かりやすく書きますと、

人にはそれぞれ、考え方や行動の癖を持っています。

まあそれが、性格とか個性とか云われるものでも

あるわけですが、それがマイナス面に出てしまっている場合には、

(大変な何かを抱えてしまっている、という意味で)

「心を病んでしまっているのかな・・」

と考えるようにしています。


たとえば、

人の陰口の好きな人、

ズケズケと物を云ってしまう人、

自分勝手な行動をとってしまう人・・・

そういう人たちは、きっと心に満たされない何かを

抱えているから、(病気のように・本人の本意ではなく)

知らず知らずにそういうことをしてしまうのだ。

と考えます。


そうすれば、

きっと相手は本意でそんなことをしたいわけではないし、

自分にも悪意はないのだ。

ただ、どうすることもできず、そうしてしまうのだ。

まあ、病気なら仕方ないし、

自分にも「そういう部分があるだろうから」

お互い様だもんね。


と、その出来事や、相手のことも肯定的に

受け止めることが可能ですし、

自分の心に『ゆとり』すら生まれるはずです。


相手の悪い部分だけに注目してしまうと、

自分自身が(受け止めきれず)ツラクなって、

関係が悪化したり破綻したり・・と、

あまり良いことにはなりませんからね。(^-^;


人間関係は、お互いの心のキャッチボールですから、

「自分も相手も、お互い様なんだ」と

思える心の工夫が大切なはずです。


カウンセラーは、そうした満たされない心が

少しでも晴れるようにお手伝いすることが仕事ですが、

普段の人間関係でも、「きっと何か抱えているんだろうなぁ」

という考え方が持てれば、(同情などではなく)

「お互い大変だよね」という気持ちになれるのでは

ないかと思います。


※病気・・・と云うと何だか

「随分ひどいことを・・(--;)」と思われるかも

知れませんが、もちろん悪い意味で述べている

わけではありません。(^^:

その考え方の基本は、こちら↓のページにあります。

言葉足らずの補足と云ってはなんですが(^^:

もし宜しければお読み頂けたらと思います。
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無意識のイタズラ?

2008年08月16日 23:37

「しなきゃ」と思うのに「できない」ことは

よくあることですが、それはべつに出来なくても、

「やりたくないから、しなかった」

と理由がはっきりしているから良いのですが・・・


これが「したい」のに「できない」になると、

どうしてだろう? 

と、やっぱり思ってしまいますよね。


だって、「したい」のに行動に移せないのですから、

それは不思議だし、気持ちが悪いですから。。(^^:


でも私たちの心には、そうした矛盾がよく起こります。

それは何故だと思いますか?



私たちの心には、自分でも意識できない

無意識という領域があります。

無意識には、私たちが生まれてから経験したことや、

そのとき感じた思い(感情)などが記憶されています。


そして、その無意識にある記憶が、私たちに行動させたり、

行動にストップをかけたりしている
わけです。


たとえば、

とても好きで好きで、たまらない彼女がいたとします。

そして彼女も自分のことを好きでいてくれて、

ふたりで「いますぐにでも結婚したいね」

と、毎日のように話をしています。


しかし不思議なことに、いざ結婚の準備をしようと

すると、何かに邪魔をされているみたいに

なかなか行動に移すことが出来ません。


先日も一緒に「式場を身に行こう」と約束していたのに、

うっかり朝寝坊をして、目が覚めても何となく気が向かず

とうとうすっぽかしてしまい、

「本当に結婚する気あるの?!」

と彼女を激怒させてしまいました。


自分としても「彼女と、いますぐにでも結婚したい」

と思うので、自分で自分が分からない・・・

親友に相談すれば、

「疲れが溜まって起きられなかっただけだよ」

「気分が『うつ』だったんじゃない?」

「あ、おまえ、マリッジブルーかもよ」

と励まして?くれますが、なんともスッキリしない。

オレって、本当に彼女と結婚したいのだろうか?

ますます気が滅入ってしまった・・・


さてこの場合、かなり落ち込んでいる様子なので、

この男性が彼女のことを好きなのは間違いないし、

結婚したいのも事実のようです。


しかし、結婚という次のステップを踏み出せないこと

を考えると、もしかすると、『結婚』や『結婚生活』

などに対して、何か気掛かりなことが無意識の中に

あるのかも知れません。


たとえば、両親が離婚しているとか、

母親か父親が「結婚なんてするもんじゃない」など

日頃から愚痴をこぼしているとか・・・

結婚に対して、そうしたネガティブなイメージや

はっきりとしたトラウマ(心の傷)が、彼の無意識に

あるとすれば、結婚に積極的になれない理由にも

うなずけますよね。


この例のように対象がはっきりしている場合は

もちろんですが、

頑張ってみたい気持ちはあるのに、

「なんとなく、物事に積極的になれない」

というような場合でも、もしかしたら、

あなたの無意識の中に、何かブレーキをかける

要因(トラウマのようなもの)があるのかも知れません。

不安(1)

2008年06月28日 23:35

「不安で、たまらない」

「不安で、どうにかなりそうだ」

心のことで、私たちが一番辛さを感じるのは

『不安』ではないかと思います。


では、どうして人間は不安になるのでしょうか。



結論から云ってしまえば、

それは俗に云う『心の傷』。

無意識にある抑圧された感情が、癒されぬまま、

いつまでも生々しく疼いているからなのです。


そう・・人は未来に不安を感じるのではなく、

過去の未解決な『問題』が心を不安定にするのです。



と、こんなことを書くと、

また、過去、過去。過去の傷かよ・・・

「だから精神分析(学)は嫌なんだぁ」

と思われるかも知れません。(^^:


でも、単純に考えても、私たちが不安になるのは、

過去に良い思いがないから「また?」

と嫌な気分になるのですよね?

もし過去が良好で、自信に満ち溢れていたら、

不安になどならないはずです。


たとえば、人間は、とても辛い体験をすると、

心が壊れてしまわないように

その辛い感情を、心の奥底へ抑圧してしまいます。

つまり、思い出さないように消し去ってしまうわけです。


しかし、消去したとは云っても、その感情は

無意識の中で生きています。

むしろ、解決しないまま「無視」されてしまった

わけですから、余計に恨みや憎しみを感じたまま

心の中で生々しくうごめいているわけです。


日常生活でも、喧嘩をして「ごめんなさい」と

お互いに和解でもしない限り、いつまでも

「こんちくしょう(--;)」と、わだかまりが残りますよね。

それと同じです。(^^:


でも本人は「忘れたつもり」でいるのが抑圧ですから、

まさか、そんなものが自分の生活に影響を与えている

などとは思ってもいません。

しかし、やらなければいけないと思いつつ、どうしても

気持ちが向かない。

なぜかいつも、同じような場面で不安を感じてしまい、

臆してしまう自分がいる・・・

などの消極的な連鎖を呼んでしまうのが、抑圧の怖さなのです。


そんな積み重ねが、いまの不安に結びついているとすれば、

過去の未解決な『問題』が心を不安定にする、

という意味も理解して頂けるのではないかと思います。



そしてそれは不安だけではなく、

寂しい、悲しいという感情も同じです。


ふと、不安になる

ふと、寂しくなる

ふと、悲しくなる


ふと・・・は、不意に(意識なく無意識に)

という状態を表しています。


それは心(自我)が現実から離れ、

『無意識の中にある気持ち』に触れ、思い出したから

そうした感情になっている・・と解釈できませんか。


つまり「いまが不安」「いまが悲しい」

というより、抑圧された『過去の自分』が

満たされ(癒され)ていないから、

そうした感情になるのだと思います。


人が夜に不安になったりするのも、

心が現実から離れ

無意識の中の自分一人になって、

過去の自分と向き合わねばならなくなるから・・・

ではないでしょうか。



久しぶりの記事が、とっても暗い話になって

しまいましたね。(^^:

しかも、こんな書き終わりでは、不安を煽った

ままになってしまいそうで・・・すみません。(^^:


次回は、その解決案?を書いてみたいと思います。

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